音楽の「シェア」続けて30年、作曲家の思いもつなぐ バイオリニスト・五嶋みどり

「ミュージック・シェアリング」の訪問プログラムで演奏したバイオリニストの五嶋みどり(左から2人目)=奈良市(南雲都撮影)
「ミュージック・シェアリング」の訪問プログラムで演奏したバイオリニストの五嶋みどり(左から2人目)=奈良市(南雲都撮影)

世界を舞台に活躍するバイオリニスト、五嶋みどりが今月、全国約20カ所の学校や病院、福祉施設を訪れて演奏し、聴衆と交流を深めている。20代の頃に「本物の音楽、音楽家をもっと身近に感じてもらえるように」と始めた活動で、今年で30周年を迎えた。新型コロナウイルス禍では、直接、生の音楽を届けられなかったこともある。「生の音のインパクト。そういったものに触れられるのは、やっぱり違いますよね」。そう言って、真剣なまなざしで楽器を手にとっている。

いろんな聴き方

5日午前、その姿は奈良市の奈良県立奈良養護学校の体育館にあった。

「今日は3人の仲間と音楽のコンサートをプレゼントしに来ました」

なかなかコンサートホールに足を運べない人たちのために続けてきた「訪問プログラム」で、米国やノルウェーなど国籍も異なる若手音楽家とモーツァルトやチャイコフスキーの曲を演奏した。

やさしい言葉で楽器や曲の説明をしながら、ひとたび楽器を構えると没入して音を奏でる。弦楽器の音色が体育館全体に広がると、車いすに座ったまま、旋律に合わせて上半身を大きく揺らす生徒もいた。曲が終わると「イェーイ」「ヒュー」と歓声が上がった。

「音楽の聴き方、反応の表現は、いろんな方法があるということを感じますね」。五嶋はそう言って笑顔を見せると、次の訪問先で、知的障害がある児童や生徒の通う奈良県立奈良東養護学校に向かった。

同校では、童謡「あめふり」を生徒たちと一緒に演奏した。生徒たちには体をたたいたり、服をこすったりして、雨や風を模した音を出してもらい、「あめあめ ふれふれ かあさんが」の郷愁漂うメロディーを弦楽器が深い音で奏でた。

「もう一度、一緒にやってみましょうか」。1度演奏を終えた後、予定にないことだが、五嶋は子供たちに再び演奏を促した。「慣れないとうまくいかないけれど、2回目になるとうまくいく。そういった体験もしてもらいたくて」

想像力を広げて

養護学校での演奏会で、笑顔を見せる五嶋みどり=奈良市の奈良県立奈良東養護学校(南雲都撮影)
養護学校での演奏会で、笑顔を見せる五嶋みどり=奈良市の奈良県立奈良東養護学校(南雲都撮影)

五嶋がこうした活動を始めたのは平成4(1992)年のことだ。演奏活動に加え、後進の指導、多忙な日々を送る中で、認定NPO法人「ミュージック・シェアリング」理事長として、国内だけでなく、発展途上国の子供たちにも音楽を届け続けている。

世界の第一線で演奏し続け、世界中のクラシックファンをうならせてきた五嶋の根には、社会貢献活動があり、「たくさんの方とやり取りを重ねて感受性に刺激を受け、鍛えられてきた」と話す。設備の整わない教室や病院、時には屋外での演奏も経験していく中で「こうしなければならない、こうしたい、といった縛られた考えから解放された」とも打ち明ける。

五嶋にとって、クラシック音楽とは「作曲家からもらった曲を解釈して、思いをつなげていくこと」なのだという。「ですから演奏家にも聴く方にも、想像力は欠かせない。さまざまなバックグラウンドを持った人がこの世界で暮らしています。想像力は、現代の世の中で、暮らしていく上で必要なことなのではないでしょうか」

世界中から若い音楽家が、この活動に参加したいと応募してくる。学校での演奏後、一人の教諭から「子供たち、本当に集中して聴いていました。ありがとうございました」と声をかけられた。一緒に演奏していたチェロ奏者のサンドラ・リード・ハーガがほっとした表情で胸に手をやり、「光栄です」と笑顔を見せると、その様子に五嶋は目を細めていた。(安田奈緒美)

ごとう・みどり 昭和46年生まれ、大阪府出身。11歳でデビューし、2014年に参加作品が米音楽界最高の栄誉、グラミー賞に選ばれたほか、21年には米国で優れた芸術家に贈られるケネディ・センター名誉賞を受賞した。14歳のときに米ボストン交響楽団と共演した際、バイオリンの弦が2度切れたにもかかわらず、楽団員から借りた楽器で演奏を続け聴衆を感動させたエピソードは、音楽祭の名を冠して「タングルウッドの奇跡」と呼ばれ、米国の教科書に載った。

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